松原市観光協会・山本理事インタビュー

この度、松原や南河内地域で活動する方を取材する、「人」にフォーカスした特設ページを公開しました。
今回は松原市観光協会・山本常任理事のインタビュー内容をお届けします。
地域の未来を紡ぐ、94歳のビジョナリスト——山本理事が描く松原市の観光戦略
岡山の地で育まれた「困難を越える力」
岡山県で10人兄弟の四男として生まれた山本理事。幼少期は、家族総出で支え合う暮らしが当たり前でした。「当時は一つの家族が一つの社会みたいなものでした」と山本理事は語ります。この経験が、彼の「地域全体で助け合う」という価値観の原点となります。
第二次世界大戦が彼の少年時代に影を落としました。14歳の時、戦場に送り出される運命でしたが、少年航空兵としての徴兵のわずか2週間前に戦争は幕を閉じます。
「松の根を掘り、そこから燃料を絞り出して飛行機を飛ばすような時代でした。もし終戦が少しでも遅れていたら、私はここにいなかったかもしれません。」
この過酷な経験を経て、山本理事は「命の尊さ」を深く心に刻みました。
「復興は建築から」——新たな道への転機
戦後、混乱が続く日本で、兄が復興のため働く姿を見た山本理事は、「復興は建築が担う」という確信を持ちました。地元の学校を卒業後、建築を専門的に学び、公共インフラや住居の設計に従事。その後、大阪へと拠点を移します。
義理の叔父が松原市の民間企業にお勤めで松原へ。お一人で建築事務所を立ち上げました。設立当初は一人で設計から現場監督まですべてを担当し、休む暇もない日々を送ったといいます。
「家を建て、住民が笑顔で暮らす姿を見るたびに、自分の仕事の意味を強く感じました。」
山本理事が手がけた建築は、松原市の公共施設や学校、さらには大阪府下の各自治体や民間の建築など幅広い分野に及び、現在も多くの人々の生活を支えています。
観光協会へ——地域を未来へつなぐ新たな挑戦
建築士としてのキャリアを築く中で、山本理事は地域社会への貢献にも積極的に関わり始めました。防災活動や地域安全協会の活動、そして観光協会の理事職に至るまで、多岐にわたる取り組みを通じて松原市の発展に尽力しています。
「松原には隠れた魅力がたくさんありますが、市民自身が『何もない』と思っている現状があります。まずは市民が地域を知り、それを誇りに思えるようにしたいですね。」
推進する台湾・高雄市との国際交流は、そのビジョンの一例です。山本理事は、自ら観光資料を携えて台湾を訪れ、松原市の観光資源をアピールしました。また、高雄市の行政関係者を松原市に招待し、地元の神社や歴史的名所を案内するツアーを計画。彼は、国際的な交流を通じて地域の魅力を発信し、インバウンド観光を盛り上げる意欲を語ります。
「竹内街道や神社仏閣など、松原には歴史的価値の高い名所が多い。それを訪れた人々に体感してもらうことで、地域全体が活性化するんです。」
地域をつなぐ「人情」
山本理事が語る松原市の最大の魅力は「人情」です。「大阪は都会のイメージがありますが、松原には隣近所が助け合う文化が残っています。それがこの町の宝物です。」
しかし、現代社会では町内会への加入率の低下や、住民同士のつながりの希薄化といった課題も見られると指摘します。
「防災意識の啓発も、地域のつながりなしには成り立たないんです。災害が起きた時に隣の人の顔も知らないという状況では困るでしょう?」
山本理事は、観光だけでなく「松原を安全で住みやすい町にすること」も重要な使命と考えています。
また、松原市が持つ観光素材をさらに引き出し、外に発信していくための情報発信力強化も重要な課題と捉えています。「松原の魅力を多くの人に伝えるには、SNSやデジタルツールを活用しなければならない。時代の変化に対応して発信方法を進化させる必要があります。」
94歳、挑戦を続ける理由
「私は94歳ですが、まだまだ挑戦し続けます。それは、自分の仕事が社会に貢献していると信じているからです。」
山本理事は、自分の後継者として息子に建築事務所の経営を託し、自らは地域活動に全力を注ぐ道を選びました。「一度やると決めたことは徹底的にやる。それが私の信条です。」と彼は微笑みます。
山本理事が描く松原市の未来は、観光だけでなく「人と人をつなぐ」ことに軸足を置いたものです。彼の熱意が、松原市の住民や観光協会のメンバーを突き動かしています。
「松原市民全員が自分の町を誇りに思えるように。そのために、私ができることはすべてやりたい。」地域の歴史と人情を大切にしながら、未来を切り開く山本理事。その挑戦は、さらに加速していきます。
Writer
松原市観光協会・編集長 真本