大阪の中心に位置する松原市は、古くから交通の要衝として栄えてきました。
人が交流する場所には、たくさんの魅力的なものが生まれます。
そんな「大阪のへそ」ならではの、松原市の魅力をご紹介します。

文化
ものづくり
地産地消
商い
ひと

古くから交通の要衝として栄えた地域だけに、松原市内には数多くの遺跡が点在しています。農耕生活をしてきた人たちの遺跡や遺構など、古の文化を今に伝える貴重な文化財として、市民に親しまれています。

松原市内を走る古代からの街道、これがもたらした恩恵は計り知れません。この街道を行きかう人や物を通じて、様々な文化がこの地にも根付きました。芸能、祭り、だんじり、河内音頭もその一つです。また、地域の人々の文化水準が上がる事で、多くの農村文化が花開きました、例えば、庄屋宅が文化サロンの様相で句会や狂歌を詠む会が催されたりしました。参加者は皆地域の富農層や僧侶・神主といった人たちで、大阪の文化人との交流などもありました。それを今に伝える「布忍八景」は、当時の布忍地域の名勝を漢詩や狂歌・俳諧句で表したもので、扁額として布忍神社に奉納されたものです。現在は都市化によってその景観を見る事は出来ませんが、文化の交流を伝える貴重な文化財です。

農村文化の中で忘れてならないのは村相撲でしょう。現在は日本相撲協会がありますが、この団体が発足するまでは全国でその地域の相撲が執り行なわれていました。元禄時代にはこの地で相撲が興行として開催されたという記録も残っています。その後、松原近辺の広い地域でまとまって、「河内十三組」とよぶ仲間の相撲組合が組織されていました。彼ら は、大相撲のような部屋をつくり、親方や行司・呼び出しもそろえていたといわれています。この地の相撲がいかに盛んであったかは、西野々墓地、天明年間の銘のある力士の墓が最古級として現存していることや、明治の時期に活躍した力士や行司の墓が存在していることなどから、うかがい知ることが出来ます。現在では松原市出身の力士が大相撲で活躍しています。大相撲の大阪場所では、佐渡ヶ嶽部屋の皆さんが松原市内に宿舎を設けています。

身近なところでは民話が挙げられます。民話はその土地で生まれ、その土地で育ち、その土地のことばで暮らしや文化を後世に伝えてくれるものです。松原市のホームページにはたくさんの民話が系統立てて分類して掲載されています。人が日々の生活を営んできた積み重ね、松原にはそんな歴史遺産が豊富です。

もともと松原市は農業が中心の地域ですが、他には河内木綿が古くから知られています。江戸時代から明治時代にかけて盛んに製造された木綿織物で、普通の木綿よりも地が厚くて丈夫なものでした。帯の芯やのれん、足袋裏などに用いられましたが、手織りであったために、戦後外国綿の輸入によって衰退しました。

次に台頭したのは金網工業です。河内木綿の手織りの技術が金網製造に向いていたため、明治時代後半に手織り中心で製造が始まりました。やがて数多くの金網業者が生まれて急速に発展し、現在は金網工業が中心となって、松原市の地場産業を支えています。

最近の話題は「鉛筆削り」「自転車のサドル」「地ソース」「ミックス粉」などです。松原市で作られている鉛筆削りにちょっと変わったものがあって、「TSUNAGO」という名前です。短くなった2本の鉛筆を繋げて再生する機能があるので、削ったうえでまた使えるようになります。長く使って愛着がわいた鉛筆って、なんだか嬉しくなりませんか。

そして自転車サドル。松原市にはママチャリ用から競輪用まで、様々なサドルを扱う国内唯一の専門メーカーが存在します。加工から仕上げまでを機械を使わずほぼ手作業で生産、まさに職人技が光ります。

食品では「タカワ」と「パロマ」という名の地ソースがあります。「タカワ」は松原市内のメーカーが創業以来作り続けてきたソース。「パロマ」は後継者不足などで継続が難しくなった八尾市の「オリーブソース」を松原市のメーカーが引継ぎました。別会社のソースを引き継ぐとは大阪ならではの発想です。食品ではミックス粉も台頭しています。予め汁やエキスが混ぜてあって効率がよく、お好み焼き・たこ焼きのお店で大人気、大阪の粉モン文化を支えています。

松原市内で稼働している事業所の大半は10人までの所ですが、小さいからこそできる「こだわりのモノ作り」はこの地の古くからの伝統で、工夫を凝らした個性豊かなモノ作りが今も盛んです。

古くから農耕生活が営まれていた土地だけに、松原市は農業を中心に発展してきました。この伝統は現在も続いていて、現在も農業が盛んです。特に地産地消にチカラを入れて、その代表例として「まったら愛っ娘~松原育ち~」というオリジナルブランドを生み出しました。これは大阪エコ農産物に認定されたさまざまな野菜に付けられた松原産農産物のブランド名です。取得には肥料の使い方や育て方などの基準をクリアしなければなりません。それが安心・安全であることの証となっています。これらの野菜は松原市内で販売されています。

中でも大阪の農作物を代表する「なにわの伝統野菜」として認証された「難波葱」は日本の葱の元祖とも呼ばれていて、日本一の生産高を誇ります。

その他にも健康コマツナ麺や松原バーガー、まつばらスイーツといった地元産の畜産物や野菜を使用した地域の特産品となる商品が続々と開発されていて、地産地消を官民一体となって推進しています。

知る人ぞ知る「合鴨」。鴨の飼育の歴史は古く、豊臣秀吉が推奨したという記録もあるように、松原でも特筆すべき畜産物です。アヒルと鴨の交配で生まれた種で、「合鴨」という名称は松原市内の「ツムラ本店」先々代の社長が名付けました。合鴨は明治の初めころから地場産業として始まり、現在も盛んです。エサの種類から始まり、飼育の方法や様々な管理に至るまで丁寧に扱われており、今や河内合鴨はブランドです。この合鴨と100パーセント地場野菜を合わせたカレーは「合鴨カレー」として有名です。

地元産の地産地消を推進するお店を掲載した「松原味さんぽ」というお店ガイドMAPが出ています。電子書籍版もありますので、スマホ片手にお店を探して味めぐりが出来る、そんな楽しみ方はいかがですか。

もともと農業を中心とした地域ですが、土地の人の気質というのでしょうか。農業をしていても気持ちは自立している人が多かったことから、農作業の傍らで作物の売り方をはじめ、いろいろと工夫を凝らしたその人なりの売り方を編み出して、それが様々な商売になっていったと言われています。それらはどれも、資本が少なくても出来るようなものだったそうですが、時代の変化に合わせて少しずつ形ややり方を変えていったようです。

そんな歴史的な流れを汲んでいることもあって、この松原という地域は個人商店や小さな町工場といった、数多くの中小の企業が中心となって地域を支えている、そんな土地柄です。

現在でも松原では従業員が1名~4名の事業所が全体の6割ほどを占めています。これは国内でも珍しい、小規模ながら特殊な形態です。業種としては卸売り、小売業、製造業が最も多く、不動産業や飲食業、福祉サービス業といった業種も数多く営業しています。

こういった産業の多くが、地の利を生かして松原ジャンクションという巨大施設を物流の拠点という位置づけでフルに活用しています。最近では交通の要所という利点に目をつけて、大阪市内で創業し市内の人口増加のために松原市に移転してきた企業がたくさんあります。

様々な地場産業を興し、特産品を開発して、地域の産業興しを行っています。

地元松原をこよなく愛しながらも、大阪人的なアイデンティティをしっかりと持つ河内の人々は、実に魅力的です。

今では耳にする機会が少なくなりましたが、この地域には「河内弁」と呼ばれる言葉があります。独特の雰囲気があるので、映画などは少し誇張されているかもしれません。

性格的な気質は、大阪人らしく話好きでオープンマインドといった傾向があります。これだけ日本中が都市化した中にあって、新興住宅街かと思うようなところでも、しっかりとした近所付き合いが今でも根強く残っています。河内の女性の特徴が「大阪市内の大阪人よりもおしゃべり好き」、一方の男性は、何事にも愚直なまでに正直な性格の傾向があります。男も女も、とにかくフレンドリーで情に厚い人たちがたくさんいます。

松原市を含むこの辺り一帯の人たちは、この地域に生まれ、この地域で働き、この地域の土に戻るという考えを心の底にしっかりと持っています。地元愛がとても強い人たちの街で、それが地元の人間同士がとても強いつながりを持っているという特徴につながっています。

市政もこれを応援する形で「若者が働く意欲に応えるしごとをつくる」「結婚・出産・子育ての希望をかなえ、未来を担うひとをつくる」「生涯を通じて健やかに暮らせるまちをつくる」「生涯を通じて安心して暮らせるまちをつくる」といった、良い街づくりをするためのビジョンを掲げています。